岩手県 水沢城址
 水沢城は伊達一門水沢伊達家の居城で、初代は留守宗利というお方です。写真は日高神社境内にある宗利公の銅像です。このお方の父は伊達政宗の叔父留守政景、母が黒川郡を治めた黒川月舟斉晴氏(くろかわげっしゅうさいはるうじ)の息女、竹乙姫で、宮城県利府城で生まれました。宮城県にかなりゆかりのある方です。

 
 水沢城は現在の市役所近辺にありましたが、開発が進んで現在は跡形もなくなっています。しかし市役所の前に「姥杉」と呼ばれる一本だけ大きな杉の木が残って歴史を感じることができます。


 水沢城下は初代留守宗利公により開発が行なわれました。伊達家の血と、大崎の諸葛孔明、黒川月舟斉の血を引く宗利公はさぞ優秀な方だったと思われます。
 水沢市にある日高神社にはお墓や留守氏の祖霊社などがあります。

日高神社へ向かう参道。一番奥に神社があります。


 宗利公の父である留守政景公は戦国時代に、伊達政宗配下となり存分にその猛将振りを発揮します。戦という戦にはすべて参戦、その活躍ぶりには政宗公もかなり信頼していたようです。
 留守政景はもともと宮城県の岩切城を居城としていましたが1590年ごろ同県利府城に移り住みます。この岩切から利府に移るまでの間、わが町大郷町の大谷に住んでいらっしゃいました。当時大郷町には伊達一族の大松沢実元がいましたから、さぞ親しい関係にあったと思われます。また、大谷の近くには政景が妻、竹乙姫の実家の黒川家菩提寺、報恩寺もありましたから参拝などしていたことでしょう。
 政景の菩提寺は水沢にある大安寺です。その場所たるやなんと水沢市の飲み屋街の入り口にあります。酒豪で知られた政景でしたから満足していらっしゃることと思います。
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