美里町 旧小牛田町 鶴頭城址(西舘城址)
 美里町(旧小牛田町)にある鶴頭城(かくとうじょうと読む)は伊達氏20要害の一つで、伊達宿老格、後藤家の居城でした。このお城に後藤家が配されたのは伊達政宗家臣、後藤信康の頃です。この武将は武勇伝やら逸話やらがたくさん残っています。それだけ活躍した方です。戦いでは常に黄色い衣服を着ていたので「黄後藤」と相手に恐れられ、仙台城普請奉行(大工の棟梁)も命ぜられました。
また、後藤信康を語るのに原田宗時を忘れてはなりません。どうもこの二人は三国志に登場する「黄忠」と「厳顔」の2大老将にかぶります。
 ある日、信康の活躍を快く思っていなかった宗時が決闘を申し込みました。すると信康は「売れられたけんかは買います。しかし、私怨の争いであなたのような武将を失うのは決してお国のためではない。政宗公に従い、お国のために命を賭けようではありませんか」こう諭された宗時はおのれの未熟さを恥じ、これ以降信康とは親交を深めていくのでした。
 この二人の手紙のやり取りが残って、その内容は戦のむなしさをつづる表現に満ちているものだそうです。見てみたいですね。
二人の武勇伝は宮崎城のページにも書いていますのでご覧下さい。

 ここのお城跡は公園になっていて同町素山公園ほどではありませんが桜の木がありました。お花見時期にはにぎわうことでしょう。


いかにもシロアリが居そうな木。


やっぱり居た。でもぱっと見、兵蟻は見当たりませんでした。まったくもって怠けた軍隊です。(見づらい)

 後藤家には2つの武器の家宝があって一つは織田信長から拝領された「朱柄槍」。もう一つは大太刀です。原田宗時が朝鮮に出兵し帰国の途中で病死してしまいました。このとき宗時が持参した大太刀をかたみとして政宗から譲り受け、後藤家代々の家宝としたと伝えられています。天国でも名コンビでいることでしょう。とか言って。この大太刀は現在塩釜神社博物館に展示されているそうです。


内堀。反対側は鳴瀬川が敵の進軍を食い止めている。

公園内にあった神社。
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