徳川家の菩提寺増上寺と仙台藩伊達家上屋敷跡

増上寺大殿と東京タワー


 徳川将軍家霊廟と皇女和宮
 浄土宗大本山である増上寺は、徳川家康が関八州を治めるようになった1590年、徳川家の菩提寺となりました。
 境内には偉大な父を持ちその意思を忠実に実行した二代将軍秀忠公、儒学者である新井白石を重用し生類憐みの令廃止など名君で知られた六代家宣公、わずか3歳で将軍を継ぎ6歳という短い命だった七代家継公、暴れん坊将軍を継いだ九代家重公、天保の改革を実行した十二代家慶公、賢妻和宮を正室に迎えた十四代家茂公の6人の将軍の霊廟があります。
 十四代将軍家茂公の正室、和宮はもともと宮家の人で当初、降嫁することを強く拒んだそうです。しかし夫となった家茂の人柄にしだいに惹かれる様になり、仲睦まじい夫婦となりました。家茂公が若干21歳にして薨去するも、和宮はその後も江戸城無血開城など31歳で亡くなるまで徳川家のために尽力します。没後御遺体は京都に戻さず、本人の遺言にしたがい増上寺に祀られ、夫婦の宝塔は現在でも二つ仲良く並んでいます。
 余談で和宮のお墓を発掘したとき胸には写真が大事に抱かれていたそうです。残念ながらその写真は古くて誰が写っていたのかは確認できなかったそうですが・・・。

将軍家墓所門。通常は入れません。

 仙台藩伊達家上屋敷跡
 汐留にある日テレタワーの近辺は、江戸時代に仙台藩伊達家上屋敷があったところです。政宗の頃は現在の日比谷公園や新橋5,6丁目に屋敷があったそうですが、1641年ここ汐留に屋敷が設けられ、幕末まで江戸における仙台の大使館的役割を果たしました。

 この屋敷の留守を預かったのが江戸留守居番頭、大松沢実元でした。実元は1617年に亡くなっていますから汐留の屋敷ではなかったとは思いますが、実元の嫡子定実がおそらくここで留守居をしていたと思われます。

 現在はその面影を見ることができません。しかし、発掘調査の際に見つかった大名庭園の遺構が東京都から仙台市が譲り受けているそうで、未定ですがそれを利用して公園に再現する計画があるそうです。


指標は仙台市が担当している。

増上寺・仙台藩伊達家上屋敷跡写真集(写真をクリックすると大きな写真が見られます)

増上寺三解脱門

家康が崇拝したという黒本尊が祀られている安国殿

伊達家芝上屋敷絵図
1716〜1788年頃のもの

伊達家上屋敷の現在。
日テレタワーがそびえたつ。
 
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