愛知県 名古屋城


 主な城主
西 暦 城 主 備 考 宮城関連の出来事
1610年 徳川 義直 御三家筆頭、尾張徳川の祖 1602年仙台城完成
1613年支倉常長スペインへ
1636年独眼龍伊達政宗卒す。享年70歳。
1669年 徳川 光友 1671年伊達騒動
1700年 徳川 綱誠
1709年 徳川 吉通
1713年 徳川 継友
1730年 徳川 宗春 8代将軍徳川吉宗とはことごとく合わず、質素倹約の享保の改革を嫌い、緊縮政策には反対とばかりに豪遊する。 1719年仙台藩でも享保の改革が始まる
1752年 徳川 宗勝
1761年 徳川 宗睦 1807年幕府から蝦夷地出兵命令下る
1849年 徳川 慶勝 1855年異国船来航
1858年 徳川 茂徳
1869年 徳川 義宣


 名古屋城写真
重心が低くて安定感を感じる。
   
   
   
案内板文面
「清正の石曳き」
慶長15年(1610年)加藤清正徳川家康に願い出て、
大小の天守閣の石垣工事を施行した。清正は巨石を修羅に
乗せて運ぶとき、石の上に乗り、気勢を上げたと伝えられ、
世に「清正の石曳き」といわれている。
複製。本物は屋根の上。


 一芸に秀でた影の集団 御土居下同心(おどいしたどうしん)
 名古屋城には万が一の場合に備え、城主の脱出口が設けられていました。これを埋御門(うずみごもん)といいます。有事の際城主はこの門を通って木曽路まで逃れられるよう、万全の準備がなされていました。
 なかでも、その逃走時に護衛の任務を任されていた影の集団、御土居下同心は、通常はお庭番や番所につめていました。比較的身分は低いようでしたが城主直属の家臣で、一芸に秀で、絶大な信頼を得ていた人たちと言われています。彼らは貧しい生活に甘んじ、世に出ることの無いようひっそりと暮らしていました。彼らを支えたのは城主の守護という任務の誇りだったのでしょう。
 1869年、版籍奉還のさいに、一人の同心の家から忍び用のかごが見つかりました。どうして身分の低い武士の屋敷にあったのかそのときにはすでに知るものはいなかったそうです。そのかごは万が一の際に城主が乗るかごだっと言われています。

参考:「名城をゆく 名古屋城」 発行 小学館
 
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