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これが支倉常長のお墓といわれているところです。円福寺の墓地内にあり目立つところに建てられています。常長のお墓といわれる場所は大郷、川崎、仙台の3箇所が伝えられています。現時点で2箇所見ているのですがその私の見解を以下に述べます。
支倉常長 〜失われた墓標〜 byサポート仙北
まず、常長がスペインから帰ってきた時キリスト教は禁止されていました。しかし、常長はローマで偉い人に洗礼を受けて身も心もキリシタンになっています。政宗は大役を果たした常長にキリシタンをやめろとか、従わないと罰するぞということは言えませんでした。しかし、幕府への面目もあります。そこで政宗は考えました。常長を病気で死んだことにして、支倉家居城のまん前に、これ見よがしに常長のお墓を建立したのです。幕府には常長死亡届を提出するとともに、常長を大郷町に移しました。常長の行動、及び幕府の目付けに対しては付近の伊達一族大松沢元実、留守政景、政宗三男伊達宗清らに監視させました。死んだことになった常長は自然豊かな大郷町でキリシタンであることは誰にも言わず、ひっそりと84歳までその地で暮らしました。その後、常長の子孫はそのお墓が常長のものであることを隠しつつ、守っていったのでした。
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